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【アーティスト紹介Vol.8】眞行さん – ヴィブラフォン・マリンバ奏者

船橋にゆかりのある音楽家をご紹介。第八弾はヴィブラフォンやマリンバを演奏する打楽器奏者である眞行(しんぎょう)さんにお話を伺いました。

僧階も持つ異色のビブラフォン・マリンバ奏者

ふなおん

本日はよろしくお願いします。はじめに眞行さんと船橋とのつながりを教えてください。
飯山満にある能満寺の跡取りとして生まれ、ずっと船橋で育ちました。小学校は飯山満南小学校、中学は飯山満中学校に通いました。

現在はビブラフォンおよびマリンバ奏者としての演奏活動と自宅を利用してのボーカル教室の傍ら、副住職という立場で家業の手伝いもしています。

眞行さん

ふなおん

将来的にはお寺の後を継ぐのですか?
自分は音楽家の道を進むため住職を継ぐことはありません。そのことは家族も理解してくれていて、お寺は姉が継ぐことになっています。

ただし、家業をサポートできるように修行をして、僧階(僧侶の資格)も取得しています。

眞行さん

数えきれないほどの訪問演奏が音楽の原理原則を学ぶ転機に

ふなおん

眞行さんが音楽を始めたきっかけを教えてください。
マリンバを習い始めたのは9歳からですが、マリンバとの出会いは5歳まで遡ります。

通っていた幼稚園が音楽に積極的な園で、お遊戯会で木琴を弾く機会がありました。当時、楽器といえばピアノかリコーダーかというところで、初めて出会った打楽器の木琴に一気に心を奪われて大好きになりました。

なので親には「木琴を習いたい」と事あるごとに言っていたんです。ただ、父はスポーツは沢山習わせてくれたんですが、男が音楽は…という感じで(汗)それでもマリンバへの情熱は衰えずに習いたいと言い続けて、ようやく9歳の時に父が折れて伊藤楽器のマリンバ教室に通わせてもらえることになったんです。

眞行さん

ふなおん

プロになることを決めたのはいつ頃ですか?
中学3年生の時です。管打楽器ソロコンテストで優勝したことが大きな転機になりました。

それよりも前から音大に進んでプロになりたいという気持ちを持っていたのですが、音大進学の条件として「コンクール優勝」を自ら課していました。それをクリアしたことで気持ちが固まり、高校はソロコンテスト優勝の実績で習志野高校に特待生として入学させて頂けることになりました。

眞行さん

ふなおん

音大進学の進路を早々に決めていたのであれば、高校時代は練習に明け暮れるような日々だったのでしょうか?
日頃生活や遊ぶことも大事にしながら過ごしていました。

というのも、音楽一辺倒だと表現の幅が狭くなることを感じ、日常の何気ない事象と音楽とをつなぎ合わせることを意識し始めていたからです。

例えば散歩をする時でも漫然と歩くだけでなく、歩きながら観察したものを自身の音楽の糧としているという感じです。この感覚を高校時代に身に付けておけたのは、その後の音楽生活にも大きなプラスになりました。

眞行さん

ふなおん

高校卒業後は予定通り音大に進学されたんですか?
高校時代にお世話になっていた先生とのご縁もあり、洗足音楽大学に進学しました。

大学時代は音楽の勉強はもちろんのこと、勉強以上に一生懸命取り組んだのが障がい者支援施設への訪問演奏活動でした。所属していたゼミが、施設への訪問演奏にかなり積極的に取り組むところだったので、ゼミ活動の一環として本当にたくさんの演奏の機会に恵まれました。

眞行さん

ふなおん

訪問演奏ではどのような曲に取り組んでいたのですか?
ジャンルに囚われたくないという気持ちもあって、その時の流行りも取り入れたりしながら、何でも演奏しました。

振り返ってみると、この頃の訪問演奏で音楽家としての技量がかなり高まりましたね。

本番の数が多かったことに加えて、本番15分前にいきなり新曲の楽譜を渡されるようなことも珍しくなかったので、たくさんの曲を短時間で弾けるように仕上げなければなりませんでした。普通に楽譜を読んでたら間に合わないので、様々な曲の根底にある原理原則を理解するため、音楽理論も真剣に勉強しました。共通ルールを身に付けていると、個別の曲の理解がずっと早くなります。

眞行さん

打楽器奏者としての新たなスタイルに挑み続ける

ふなおん

音大卒業後、プロ活動がさらに本格化していったのですか?
大学卒業後は音楽事務所に登録させてもらい、そちらを通じて小学校での音楽鑑賞教室の仕事などに取り組むようになりました。

25歳頃からは講師業にも取り組み始めました。といってもマリンバではなくボーカルの講師なのですが。

眞行さん

ふなおん

打楽器奏者がボーカルを教えるというのは非常に珍しいように思います。どこかのタイミングで歌も専門的に学ばれていたのでしょうか?
高校時代からカラオケが大好きだったのもあって歌は得意でした。

専門的に学んだことはなかったのですが、たまたま音楽教室のボーカル講師募集のお知らせを見てオーディションを受けてみたら合格できたんです。教えることが決まってから、必死に歌の勉強をしました。

自分で言うのも憚られますが、マリンバに関しては天才肌タイプで、特に苦労も無く上達していきました。ただ、歌に関しては苦労が多く、どうやったら上手くなるのかをかなり考えて練習しなければなりませんでした。その分できない人の気持ちが分かるので、教えることに関してはボーカルの方が向いているように思います。

子どもからお年寄りまで、かれこれ250人くらい教えてきて、中にはプロとして活躍している人もいます。現在も自宅を利用した教室でボーカル講師を続けています。

眞行さん

ふなおん

演奏活動に関しては現在どのような活動に取り組まれていますか?
自身の家業でもある能満寺の敷地を利用して「彼岸祭」というイベントを定期的に開催しています。特設ステージを組んでの自分自身や仲間たちのライブを軸として、食べ物の屋台なんかも出てワイワイと楽しめるイベントです。

大学を卒業してすぐに取り組み始めて計9回の開催となりましたが、400人くらいのお客様に来場頂けるイベントに成長してきました。

眞行さん

ふなおん

お寺でのライブなんて面白そうですね!
お寺ってお葬式とか御墓参りとか、悲しい時にしか来てもらえないじゃないですか?

それが嫌で、お寺で楽しいことをやりたいと思って企画しました。地域のコミュニティづくりにも貢献できているのではないかと思っています。

眞行さん

ふなおん

眞行さんはどのようなスタイルで演奏することが多いのですか?
リーダーを務めるEXBORNというフュージョンバンドでヴィブラフォンを演奏したり、ヴィブラフォンとマリンバのデュオでの活動なども行なっていますが、パーティーや野外イベントなどでのソロ演奏のお仕事もたくさんやらせて頂いています。

新しい演奏スタイルを確立していきたいという気持ちを強く持っていて、ヴィブラフォンとマリンバのデュオでは私が作曲したオリジナル曲を大手3社からハイレゾ音源CDとして発売しました。打楽器奏者としては初の試みです。

その他にも、自身で作曲から音源作成までを行い、その音源に乗せてマリンバやビブラフォンをソロ演奏するという同期音楽のスタイルも確立しました。ポピュラー音楽では当たり前のように行われているのですが、こちらも打楽器奏者としては初の取り組みです。

眞行さん

船橋への想いと今後の展望

ふなおん

眞行さんが思う船橋の良いところ・もっとこうだったら良いのにというポイントを教えてください。
船橋で生まれ育った者として、船橋のことが大好きです。ららぽーとなんかもあって買い物も便利だし、かと思えば自然も多くて、ほんと良い街だと思います。

その一方で打楽器奏者としては、小ホールやライブハウスのような、小〜中規模の演奏会場がもっとたくさんあれば良いのにと感じます。

眞行さん

ふなおん

最後に、眞行さんの今後の展望をお聞かせください。
自身の作った曲を通じて、ヴィブラフォンやマリンバという楽器をもっとメジャーなものにしていきたいという想いを持っています。

もちろん有名な歌などをアレンジした曲の方がウケが良い面は否めませんが、その点に関しては聞き手の意識も変えていかないといけないとも考えています。自身の演奏においては、初めて聴く曲であっても興味を持ってもらえるよう、演奏のみならず司会などについても試行錯誤を重ねています。

眞行さん

眞行 – ヴィブラフォン・マリンバ奏者

 

千葉県船橋市出身。超スピード奏法が持ち味で、その演奏は『飛燕の早弾き』と呼ばれている。

 

幼少の頃よりジュニアパーカッションアンサンブルグループのリーダーとして様々な公演を展開。第12回吹奏楽連盟主催個人コンクールにおいて打楽器部門第1位及び全部門総合グランプリ受賞。洗足学園音楽大学付属音楽教室(現クロスアーツ)3年連続主席演奏者。

 

2014年東京都ヘブンアーティスト認定。同年、打楽器界では日本初となるハイレゾ音源でのアルバムをe-onkyo・Sony ・Victorの大手3社よりリリース。オリジナル全曲を作曲。

 

ボーカルにも定評があり、大手ボーカルスクールの特待講師にオーディションを経て就任。アイドルやアニメソングシンガーなど250人を越える生徒を育成。現在はフリーのボーカルアドバイザーとして生徒を育成する傍ら、セミナーでの講演などにも登壇している。

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