【アーティスト紹介Vol.1】飯岡 泰山さん – シンガーソングライター

船橋にゆかりのある音楽家をご紹介。第一弾はシンガーソングライターの飯岡 泰山(いいおか たいざん)さんにお話を伺いました。

音楽が人を変えることを実感する日々

ふなおん

本日はよろしくお願いします。最初に飯岡さんの船橋とのつながりを教えてください。
出身が習志野市実籾なので、船橋は小さい頃から馴染みのある場所でした。今は船橋市宮本に住んでいます!

シンガーソングライターとして独立した後は船橋を拠点に音楽活動をさせて頂いていて、船橋グランドホテルでの演奏を定期的に行なっています。アンデルセン公園での演奏もさせていただきましたね。

その他の船橋の音楽イベントにもたくさん関わらせて頂いていて、ふなばしハワイアンフェスティバルやふなばし千人の音楽祭でも演奏させて頂きました。

飯岡さん

ふなおん

本日はギターをお持ちですが、この後どこかで演奏されるのですか?
この後は学校で音楽を教える仕事があるんです。

飯岡さん

ふなおん

演奏だけでなく教える仕事もされてるんですね!そちらのお話も含めて、飯岡さんの普段の音楽活動について教えてください。
私の音楽活動は、弾き語りを主とするシンガーソングライターの活動と、いくつかの学校で音楽講師として高校生たちに歌を教える仕事が二本柱です。

飯岡さん

ふなおん

飯岡さんはもともと教育分野、人を育てたりすることに興味があったんですか?
もともと興味のある分野でした。

いま仕事をさせて頂いている学校は、軽度の発達障害を持っている子や、不登校に悩んで入学してくる生徒も少なくありません。なので最初は会話もまともにできない子もいたりします。そんな子達も音楽の時間は楽しそうに笑顔で過ごしてくれて、そうやって一緒に楽しく過ごす時間が1年間ぐらい積み重なると会話も普通にできるようになっていたりします。そんな変化を間近で見ることができるのはとてもやり甲斐を感じます。

また、自分が色々とストレスの多い家庭で育ったのですが、そんな時に学校の先生の愛情に救われた経験があります。そんな経験から、家庭以外の居場所をつくるというのもとても大切なことだと思っていて、もしかしたら通っている生徒たちの居場所作りに役に立てているかもと思うと喜びがありますね。

飯岡さん

音楽を始めたきっかけはクラスメイトとのバンド活動

ふなおん

飯岡さんは今はシンガーソングライターとして活動されていますが、音楽を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
本格的に音楽を始めたのは高校三年生の時でした。
中学生の頃に友人に勧められたのがきっかけでUVERworldというバンドが好きだったのですが、高校三年生の時に同じバンドが好きなクラスメイトとバンドをやろうと盛り上がって。そのバンドではボーカルを担当しました。

飯岡さん

ふなおん

飯岡さんのバンドデビューはボーカルだったんですね!もともと歌が得意だったとか?
歌うのことは好きでしたね。家に居場所が無くて、勉強もスポーツもあまり得意でなかった自分が、初めて自信を持てたのが歌うことでした。友達とカラオケに行ったら自分の歌でみんなが盛り上がって、それが本当に嬉しかった。やっと自分の居場所を見つけた!っていう感覚でした。

飯岡さん

ふなおん

歌の才能がカラオケで開花したんですね!
いや、歌うのは好きだったんですけど、決して歌が上手いわけではありませんでした(笑)
バンドのメンバーからも「お前、歌が下手だからここに行ってこいよ」って、スタジオに貼られてたボイストレーニングのチラシを渡されるくらいで(汗)

飯岡さん

偶然手にしたチラシが音楽人生を大きく変えた

ふなおん

それでボイストレーニングを受けに行ったんですか?
はい。そこが自分の音楽人生の転換点でした。そのチラシは船橋を拠点に活動している小松優一さんのボイストレーニングのチラシだったんです。
バンドメンバーから言われたこともあって、まずは体験という形でボイストレーニングを受けに行きました。そうしたら、レッスンで話をする中でお互いの地元が近いことが分かって、一緒に帰ることになったんです。途中で津田沼の楽器店で小松さんがギターを試奏するのを横で見せてもらったんですけど、その時のことは強烈に覚えています。

そこから小松さんとのご縁が今でも続いていて、シンガーソングライターとして活動することを報告したら「じゃあ船橋で一緒に演奏しようよ」と誘ってもらえて。そこから船橋を拠点にした音楽活動が始まりました。

飯岡さん

ふなおん

それはまさに運命の出会いですね!!シンガーソングライターとして活動することになった経緯を教えて頂けませんか?
高校3年生の頃に結成したバンドは卒業と同時に解散となってしまったのですが、その後すぐに自分の中学〜高校の同級生を誘って新たなバンドを組みました。そのバンドでもボーカルを担当しました。

メジャーデビューを目指して本格的に活動に取り組んで、自分も親に無断で大学を辞めちゃって(笑)。でもバンドメンバーの大学卒業が迫ってくると、就職や音楽性の違いを理由に集まるのが難しくなってきて…

だったらいったん一人でやれるところまでやってみようと、アコースティックギター弾き語りのスタイルに切り替えて音楽活動を継続することにしました。

飯岡さん

ふなおん

弾き語りに転向するにあたって、それまでバンドではずっとボーカルを担当されていたのに、ギターも弾けたんですか?
実はギターは中学三年生のころから傍にありました。その頃に亡くなった親戚の遺品整理のときにギターが出てきて、当時は全然弾けなかったんですけど「これは捨てちゃいけない」という心の声が聞こえてきて、強引に引き取らせてもらったんです。そのギターは今でも演奏に使っているうちの一本なんですが、こうやって振り返ってみると、そのギターとの出会いが自分の音楽人生の出発点だったのかも知れません。

飯岡さん

船橋への想いと今後の展望

ふなおん

飯岡さんが思う船橋の良いところ・もっとこうだったら良いのにというポイントを教えてください。
船橋は市として公式に路上ライブを支援していたりするので、音楽家が活動しやすい街だと感じています。

また、街の人同士のつながりが強いのか、情報伝達が早いのも良いところだと思っています。面白そうなことやろうとしてる人の情報がすぐに耳に入ってきたり。

個人的に働きかけが足りないのだと思いますが、同ジャンルの音楽家以外との接点が少ないのがもったいないと感じています。船橋はジャンルを問わず音楽が盛んなので、それぞれの音楽や楽器のジャンルを超えた共存ができると面白いんじゃないかと思いますね。

飯岡さん

ふなおん

最後に、飯岡さんの今後の展望をお聞かせください。
引き続き船橋を拠点にして音楽活動に取り組んでいきたいと考えています。自分のミュージシャンとしての出発点の街で、これまでたくさんの人にお世話になってきました。その恩返しの意味でも、音楽で船橋を盛り上げていきたいですね。

もう少し大きな話としては「家族のようにお互いを思いやる事のできる社会を音楽でつくりたい」という夢を持っています。

愛情を受け切れなかった家庭で育った子が大人になって家庭を持つと、どうやって子供に愛情を注いだら良いかが分からずまた愛に飢えた家庭となってしまう。こんな負の連鎖を止めたいんですよね。そのために、色々な人が集まって家族のような関係を持てる空間を作りたいんです。そういった空間づくりって、音楽が得意な領域ではないだろうかと思っています。

まだ具体的なことは描けていないのですが、まずは幸せな人も寂しい人も心が安らぐ、そんな音楽を届けたい。

そのための目標としては、学校とか幼稚園/保育園に関わることになるのかなぁ。でも子どもだけじゃなく保護者の意識も変えないといけないから、それだけじゃ足りないかもなぁ。そんなことを考えています。

飯岡さん

飯岡 泰山 – シンガーソングライター

 

ロシア生まれ中国の山の名前の千葉県育ち。

 

高校3年生でバンドを始め、その後コーラスグループ等様々な活動を経て2016年に弾き語りをスタート。

 

2017年に船橋グランドホテルにて1stワンマンライブ「あらためまして泰山です。」を開催、同日1st single 「あたたかい雨」をリリース。

 

2019年には船橋勤労市民センターにて弾き語りワンマンライブ「独演会」を成功させる。

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