船橋にゆかりのある音楽家をご紹介。第17弾は市船吹奏楽部出身の声楽家、高原 明香(たかはら あすか)さん※にお話を伺いました。
※旧姓、藤崎 明香さん
歌手として地域のカフェや学校でも演奏
ふなおん
はじめに高原さんと船橋とのつながりを教えてください。
高校が市船(船橋市立船橋高校)で、吹奏楽部に所属していました。吹奏楽部ではトロンボーンを担当していましたが、部活で取り組んだ「吹劇」で歌隊に参加したことがきっかけで歌の道を志しました。
大学に入る手前で、市船吹奏楽部の仲間と組んだアカペラグループ「ピノ☆」でハモネプにも出場し、千人の音楽祭など市内の色々なイベントにも出演しました。
社会人になってからはご縁を頂いて、船橋市場にある「市場カフェ」でお店に立ったり、市場カフェを会場としてのコンサートを開催させて頂いたこともありました。
今は美容系の仕事をしながら音楽活動に取り組んでおり、夫の協力も得ながら動画配信にも積極的に取り組んでいます。また、船橋市内の特別支援学校にも定期的に訪問コンサートをお届けしています。
高原さん
ふなおん
いえ、出身は松戸です。でも中学時代に見た市船の演奏が忘れられなくて、その憧れを胸に高校は市船に通うことにしたんです。
中学は地元の吹奏楽部が強い学校に通っていたのですが、市船がYOSAKOIに取り組む姿を見かけて本当に驚いたんです。
え?吹奏楽部なのに踊るの!?
って。中学の吹奏楽部ではコンクールや定期演奏会といった、行儀良く座って演奏するような舞台しか経験していなかったので、そんな市船の姿に吹奏楽の持つ可能性の大きさを感じたんだと思います。
高原さん
市船吹奏楽部で目覚めた歌の才覚
ふなおん
5歳からピアノを習っていました。当時住んでいた家の目の前にピアノ教室があって、ご近所付き合いの1つとして連れて行かれたと記憶しています。
高原さん
ふなおん
音大に行こうと思ったのはいつ頃からだったんですか?
物心つく前から父から音大を勧められていたこともあり、将来はたぶん音大に行くんだろうなと小さい頃から思っていました。幼い頃はピアノ科に行くことを想像していましたが、吹奏楽を始めてからはトロンボーン科を目指し、最終的には高校での経験を経て声楽科に行くことにしました。入ってから何をやるのかは移り変わっていましたが、ずっと音大に行きたいという気持ちは変わりませんでした。
父はアマチュアですが熱心にバンドに取り組む音楽好きな人で、子供にも音楽をやって欲しいという気持ちが強かったみたいなんです。あと、私はピアノ教室の発表会でも嬉々として前に立って歌ったりするような目立ちたがりの子だったので、そんな姿を見て人前で何かを表現するのが向いていると思ってくれたのかも知れません。
高原さん
ふなおん
楽器を演奏するはずの吹奏楽部での経験によって声楽科を目指すように心変わりする、というのが意外に思います。高校の部活動のことをもう少し詳しく教えて頂けませんか?
市船吹奏楽部はYOSAKOIをはじめとして、吹奏楽の枠を超えた活動にもたくさん取り組みます。その中の一つに定期演奏会で取り組む「吹劇」があります。演奏・歌・踊りなど、何でもありのステージなのですが、私は1年生の時から吹劇に歌隊の一員として参加していました。そこで顧問の高橋先生から「お前の歌はイイね」と言われ、進路について相談した時も「音大に行くなら歌の方が良い」とアドバイスを頂いたんです。
高原さん
ふなおん
将来的にミュージカルに取り組んでみたいと思っていたのですが、どのような分野に進むにしてもクラシック音楽が土台になると考え、音大ではクラシック音楽を専門に勉強してきました。
負けず嫌いな性格なので、歌を志す仲間たちと切磋琢磨する音大の環境はとても刺激的で楽しかったです。
高原さん
クラシックの技法を土台に、目の前の人が喜ぶ演奏を届ける
ふなおん
音大卒業後はどのような活動に取り組まれたのでしょうか?
オペラの養成所に所属しましたが、型通りにきっちりやるよりも自由に表現したいという気持ちが強くなり、半年で辞めてフリーの声楽家としての活動を開始しました。結婚式の聖歌隊などの仕事に取り組みながら、自主企画のコンサートなどにも取り組みました。
また、その頃は将来的に「音楽カフェ」のようなものを作れたらという想いもあって、音楽と並行してとあるカフェで副店長としての仕事もしていました。
高原さん
ふなおん
船橋市場にある市場カフェに関わるようになったのも、カフェでのワークショップ企画などに興味があったからなんです。カフェを舞台にしてのコンサートをやらせてもらったり、ピアニストの菊川夏未さんとの再会があったりと、市場カフェは私の音楽活動をたくさん拡げてくれた場所です。
高原さん
ふなおん
先ほど「自由に表現したい」との想いでフリーでの活動を選んだとのお話がありました。高原さんが表現したい音楽とはどのようなものなのでしょうか?
クラシックの技法をベースとして他のジャンルの音楽を表現する、というのが私の音楽のテーマです。音大ではクラシックを学びましたが、吹劇やアカペラグループでの活動が根っこにあるので、唱歌やポップスなど身近な作品を通して目の前の人に喜んで欲しいという気持ちが強くあるんです。
高原さん
ふなおん
これまで出演した中で特に印象に残っている舞台について教えていただけませんか?
今でも定期的に訪問している千葉県立船橋特別支援学校でのコンサートが特に印象的でした。聴いてくれるみんなが、純粋に全身で喜びを表現してくれていました。そうやって喜んでくれる姿を見て、演奏している私が逆に元気をもらえるんです。先生や親御さんに話を聞くと、普段なかなか生の演奏に触れる機会に出向くのが難しいそうで、こういった音楽を必要としている人に演奏を届けるのが自分の使命であるようにも思っています。
高原さん
ふなおん
高原さんは社会貢献意識が非常に強いように感じます。そういった気持ちが芽生えた背景はどのようなところにあるのでしょうか?
一番辛い時に救ってくれたのが音楽だったので、私も音楽を通じて誰かの助けになりたいと思うようになりました。
中学〜高校の頃に家庭が荒れていた時期があったんです。あまり家に帰りたくない時の自分の居場所が吹奏楽部で、音楽活動が自分の支えになっていました。吹奏楽をやっていなかったら、きっとヤンキーギャルになって悪の道に堕ちていたはずです(笑)その苦しい時期を一緒に乗り越えた母も、私の音楽を必要としてくれている一人です。
そんな背景もあって、演奏のみならず、機会があれば合唱指導などにも取り組んでみたいと思っています。
高原さん
船橋への想いと今後の展望
ふなおん
高原さんが思う船橋の良いところ・もっとこうだったら良いのにというポイントを教えてください。
船橋で特に思い出深いのが「千人の音楽祭」です。高校生で吹奏楽部の一員として、卒業後に歌手としても関わらせて頂きました。あんな大きな規模の音楽イベントは他ではなかなかなく、千人の音楽祭に出演したことがあるというのは私の自慢の一つです。
そんな千人の音楽祭がずっと続いてくれることに加えて、それ以外にも出演すること自体が憧れになるような音楽イベント・音楽ホールが増えていくことを願っています。
高原さん
ふなおん
具体的な方法はまだこれからなのですが、音楽が本当に必要な人に届くような活動に取り組んでいきたいと考えています。
そのためにも呼ばれた時にはいつでも歌えるよう、歌手として腕を磨き続けていかなければと思っています。
高原さん
高原 明香 – 声楽家
千葉県松戸市出身。5歳からピアノを始め音楽の道に進み始める。
小・中・高校では吹奏楽部でトロンボーンを担当。高校は市立船橋高校出身で在学中に吹奏楽部オリジナルの“吹劇“の歌隊に選ばれ、歌の道への興味を示す。高校卒業後、尚美学園大学に入学。
在学中は特待生として声楽を専攻し、オペラの舞台に立つ。尚美学園大学主催「フィガロの結婚」ケルビーノ役で4年間出演。優秀者演奏会4年連続出演。
同時にアカペラグループ「ピノ☆」としても活動しフジテレビ系「青春アカペラ甲子園 ハモネプリーグ」に出演。船橋市の千人の音楽祭にも出演。
その後聖歌隊、合唱団などの経験を経て現在は美容部員として働きながら演奏活動をしている。