船橋にゆかりのある音楽家をご紹介。第13弾はシンガーソングライターの濱津美穂(はまつ みほ)さんにお話を伺いました。
※本来、濱津さんの漢字は 濵(はま)津ですが、環境依存文字を使用しているため、原稿内では 濱津 とさせていただきます
目指すは「船橋市で誰もが知るアーティスト」
ふなおん
本日はよろしくお願いします。船橋には濱津さんのことをすでに知っている方が多いと思いますが、改めて、船橋とのつながりを教えてください。
船橋生まれ、船橋育ち、現在も船橋に住んでいます。船橋市緑台で育ち、幼稚園はみどり台幼稚園へ。高根小学校、高根中学校を卒業しました。
濱津さん
ふなおん
「船橋で誰もが知るアーティスト」を目指して、船橋市内を拠点に活動しています。音楽スタイルは、ギターを持って弾き語るシンガーソングライターです。自分の音楽活動のほかに、ふなばしミュージックストリートの実行委員・宣伝課長、ふなばしアンデルセン公園ではイベントステージの司会進行も時々しています。千葉市の通信制高校で音楽講師もしています。
濱津さん
ふなおん
外でライブをやるようになったのは、専門学校に入学した年からです。学校は東京都国分寺市にある日本芸術高等学園に通っていました。高等学園卒業後は、付属の専門学校・音楽ポピュラー学科へ通い、卒業しました。
濱津さん
ふなおん
音楽をやりたい!と思うようになったのはいつ頃からだったのでしょう?
幼いころから歌うことが好きで、漠然と「アイドル歌手になりたい」と思っていました。小さいころは太鼓もやっていましたが、中学での部活はバレー部。結構強くて、千葉県で優勝、準優勝のレベルまで勝ち上がっていましたよ(笑)。中学3年生からボイストレーニングに通っていました
濱津さん
ふなおん
高校・専門学校は、船橋から国分寺まで通っていたのですか?!
はい、通いました。進路に迷っていたころ、この学校へ体験に行ったらあまりにも楽しくて。座学の勉強のほかに、音楽やダンス、演劇の授業があるような学校で、体験に行った時、ドラムとヒップホップの授業の体験をさせてもらいました。それが「ここしかない!」というくらい楽しくて。
学校ではバンドアンサンブルについて勉強したりもして。パフォーマンスを披露するイベントも多い学校で、楽器を専攻している人とバンドを組んだりして演奏しました。専門学校へ入学した年には、俳優として活動している兄(ハマツタカシ)とユニットを組んでいたこともあります
濱津さん
ふなおん
大きな出来事は、「本当に自分が音楽をやりたいのかを確かめたい!」と、英語はしゃべれない、右も左も分からない状況で、1カ月間、NY・マンハッタンに行ったことでしょうか。
船橋市の成人式「20歳のアピール」で歌を歌った4日後、NYへと渡りました。行けば絶対に何か変わる!と信じて行きましたが…、NYで突き付けられた課題は日本でも直面していた課題と全く同じだったんです。「きれいに歌いたい」「うまく歌いたい」だけではダメ、伝わるように歌うとはどういうことかを考えさせられました
濱津さん
2011年の震災後、船橋を拠点とした活動を開始
ふなおん
専門学校を卒業した年は、2011年、東日本大震災があった年でした。そこで、「成人式のときに出会ったメンバーでチャリティーライブをやろう!」という話になったんです。そのときに私たちを手助けしてくださったのが、成人式の時にお会いした、とある舞台監督さんです。そこから「船橋を盛り上げよう!」と活動している方との出会いがたくさんあり、今の自分につながっているように感じます
濱津さん
ふなおん
2014年頃からです。ミュージシャンの先輩から誘っていただき、「UnRealProject」で、ソロで歌っている人が100人集まって歌ったらどういう化学反応が起きるか?というプロジェクトに参加していました。そこで、「楽器を弾けた方が良い、1人でも歌えば?」と先輩に言ってもらったのをきっかけに、ソロでギターを持って活動するようになりました。でも弾き語りって、バンドとは違って全てが自分から出るので、今でも難しいなと思うことがたくさんあります
濱津さん
ふなおん
以前は、基本的にはポジティブな内容の歌を歌って、元気な「濱津美穂」を出すべきだと思っていたので、そういう歌が多かったんです。友達にも愚痴とかあまり言わないようにしていて。そしたらある日、先輩から「落ち込んでいるのが悪いって、誰が決めた?」って言われてハッとしました。それからは「ありのままに、感じたままに」を出すようにして、セカンドワンマンライブの時には、自分の中にあるいろんな気持ちをテーマにしました。それで、「ミュージックパレット」というタイトルで7曲の“色”の違う歌を歌ったアルバムを作成しました。さらに、2018年のライブでは、「×(ばつ)」という曲をみなさんの前で歌ったこともあります
濱津さん
ふなおん
船橋をベースとして活動するようになったのは、いつ頃からですか?
2014年ごろからでしょうか。船橋でいろんな人とのご縁をいただきながら活動しているうちに、自然と船橋が拠点となっていました。そして2016年、初のワンマンライブを船橋グランドホテルでやらせてもらいました。翌年、2017年にはセカンドワンマンライブをきららホールで。2018年もきららホールで行いました
濱津さん
船橋への想いと今後の展望
ふなおん
船橋をテーマにした曲もたくさん作っていらっしゃいますよね?
いつの間にか増えていました(笑)。「アンデルセン公園のうた」、市内にある福祉施設「福寿荘のうた」、船橋市場の盆踊りの曲「船橋市場音頭」、レストラン「船乗りマリナーラ」の歌である「ノリノリマリナーラ」、船橋市場の中にある「市場カフェ」の「市場カフェのうた」、最近では「また来るね ~三咲霊園のうた~」も作りました
濱津さん
ふなおん
いっぱいありますね! これらの歌は依頼されて作るのですか?
いえ、「もっと知ってもらいたい!」という思いから生まれるものだったり、市場カフェの歌については、お店に行った帰り道、自転車を漕ぎながら「いっちばーカフェ♪」って、自然と口ずさんでいたり…! それぞれです!
濱津さん
ふなおん
濱津さんが思う船橋の良いところ・もっとこうだったら良いのにというポイントを教えてください。
イベントがたくさんある、すごくいい街だと思います。中でも、ふなばしミュージックストリート実行委員を通して、どういうふうにイベントが作られるのかを知ることができました。過程を知ってステージに立つことは、関わる方たち、用意されたもののひとつひとつに対して重みを感じられ、アーティストにとっても、とても大切なことと感じています。
さらに、船橋の人たちとのご縁が素晴らしくて。素敵な人が多く、ライブに来ていただいたみなさんからもパワーをもらっています。365日ライブをしている「コクリコット」(船橋市本町)で開催している定期ライブや市場カフェでの「はまつの会」などは来てくださる方との距離も近く、来てくださった人同士がつながったらもっといいな!と思っています
濱津さん
ふなおん
2020年にもワンマンライブを計画中ですが、夢としては、いつかは市民文化ホールでのワンマンライブ、さらには船橋アリーナでワンマンライブができるようになりたいです!
最近気になっているのは、月や星とコラボしたライブで、プラネタリウムでコンサートをやるのも面白そうだなと思っています。
これからも自分の頭の中にあるものを具現化し、自分のありのままを表現していきたいです。船橋で誰もが知るアーティストになったら、その次は、“愛される”アーティストになりたいです
濱津さん
濵津美穂 シンガーソングライター
船橋市緑台出身。「生まれ育った船橋で、誰もが知るアーティストになる!」という夢を掲げ、船橋を中心に活動中。ふなばしアンデルセン公園や飲食店での企画ライブ、市民まつりなど船橋市内のイベントに多数出演。「ふなばしミュージックストリート」では宣伝課長を勤めている。1st Album 「Music Palette」は手売りで発売中
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